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juin 2004 posts

はらはら・ドキドキ

あれは、夏場の、南伊豆の海岸へ行く途中、
天城峠越えのR136で、
目の前を、のんたらのんたら走っている冷凍車を追い越した時から、
その物語は始まったので有りました。(゚ー゚)(。_。)

「踊り子」の物語・映画でもご存じのように、
天城峠と言えば、急な上り坂、下り坂の、タイトなコーナーの連続で、
其処で追い越しを掛けるとなれば、それはもう、
ちょっとした、命を掛けた博打みたいなもの。

そんな場所で、づづ☆彡は我慢できず、思い留まる事も出来ずに、
ついつい、迫り来るコーナーの手前で、
亀走行な冷凍車を、追い越したんですね。
そしたら・・・案の定と言うか、見事にと言うか、
追い越した直後の、走行車線に戻ろうかと言うその時、
対向車がひょっと下って来たんです。

そりゃぁ~もう、びっくりして、
つい今し方、追い越したばかりの冷凍車の事など気にせずに、
いきなり走行車線に戻ったんだけど・・・
それが、かなり強引な戻り方だったもんで、冷凍車からは抗議の「ぶぅーぶぅー」
まっ 許してや♪ ってんで、ハザードを灯けたけれど、
それだけじゃどうも、ダメだったみたいで。

暫くして、峠を越え、登りから下りに差し掛かった時、
目の前に、もう一台の冷凍車が見えてきたんですよ。
その冷凍車も、下り坂だっちゅーのに、やたらと亀さんしていて、
ついさっきの恐怖体験も有った事だし・・・と、暫しその冷凍車の後ろに付いていたら、
知らぬ間に、さっき追い越した冷凍車が背後に居て、
あっ!っと思う間もなく、挟み撃ち。
いきなり、クルマを止められ、前の冷凍車と後ろの冷凍車の間に、
づづ☆彡のクルマが居座る状況下。

ふぅ~と、一息付くのも束の間。
双方の冷凍車から、あんちゃんが降りてきて、
「さっきの追い越しはなんだぁ! こっちまで巻き添え食っちまうじゃんか!!!」
と、凄い剣幕。
も一人のあんちゃんは、口だけでは気が済まないらしく、
「おめぇ~らが遊んでいる時でも、おめぇ~らの食うモノ、運んでいるんだぞー!」
と、づづ☆彡のクルマのタイヤに、蹴りを入れたのでした。
此処まで攻められると、もうすっかり萎縮しちゃって、
「すみません・・・」の、一言のづづ☆彡。

そう、前後の冷凍車は無線を積んでいて、しっかりと連んでいたのでした。

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さっちゃんら、子供達の合図

さっちゃんに纏わる、づづ☆彡的な論説、第3段。

子供達が暴言を吐いたり、暴力を振ったりするその背景には、
誰かに守られたい、誰かに自分の胸の内を判って貰いたい…
って時。
これは、児童心理学でも定説的で、
よくよく、耳にすること。

今回の女児の場合、日常生活では一見、何事もなくて
(そういう、思い悩むことや、苦悩を、
 抱えていない様に見えた…って意味で)
それ故、親としても、
HP上に書き出した暴言や思いを吐き出した数々のコトバを、
知る由も無かったハズ。

ちょっとでも、その行動に何らかの変化が表れていれば、
親兄弟ならずとも、周りの人が、其れとは無しに気が付いて、
話し掛けたり、「味方」に成ったりしたり…で、
「きれる」前に、思い留ませる事が出来たんだろうな…と。

何ら、行動に表すことなく、
良い子いい子、し過ぎた反動がもたらした、最悪の結果。

頭っから押さえ付けるだけじゃ無く、まずは言い分を聞いて上げる。
子供らのコトバに、耳を傾けて上げる。
そういう事を、毎日少しづつでもしていたら、
きっと、道は変わっていただろうに…

今日の新聞に、特殊出生率予測が出ていたけれど、
1.3人を遂に下回り、1.29人。
多兄弟の時代は、とうの昔の事に成った昨今故、
子供達の話を聞いて上げる、親身になって、打ち解けてあげる役目は、
誰でもない、唯一の肉親である親そのものだと、
改めて、実感した夜でした。

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さっちゃんと女児と…

でだ。
続々と入ってくる、新たなる情報と論説の数々。
その中で、今夜の地元新聞に掲載されていた論説には、
ちょっと恐れ入った次第。

所謂、疑似恋愛説。
さっちゃんや女児の年頃、独特の、
憧れからくる疑似恋愛的な感情を、
女児は、さっちゃんに対して抱いていたのでは無いか?
そういう感情を抱いた、まだ、
恋愛の恋愛たるを知らない女の子が、
恋心を裏切られて、その反動から殺意に至ったのでは…
が、主たる論旨だったけれど…

大人の恋愛の中では、確かに、
その例は有る。
古今東西、色恋沙汰で殺意を実行してしまった例は、
いくらでも有る。
でも…11歳そこそこの女の子が、そこまで思い込む?
思い込んだとして、その思いの相手に対し、殺意を抱く?

報道では、サイトのリンクの中に、
殺人をテーマとした小説を掲載している場所が有ったと云う。
映画サバイバル・ゲームの影響が、多少成りとも有ったんだろうけど、
それだけでは無いような気がして成らない。

カッターを握り締めるに至までの経緯が、大人達の知らないところで、
何か有ったハズ何だろうけれど…

昔は、「秘密の日記」に、
日頃の思いや感じたこと、それらをめい一杯、
自分を責めないよう、自分だけを美化して、
あたかも人が悪いとの如く、書いたもんだけど…

そういう、個々の中だけの日記が、
サイトと云う、公の場に曝される事で、
よらぬ思いが、頭を持ち上げたんだろうか?

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さっちゃん、今どこにいる?


との問いかけから始まる、被害者側の女の子の父親手記。
この手記が発表されたのが、昨夜の事で、
それ以前まで、被害者の子、被害者家族の状況ってものが、
なかなか、判らず仕舞いでいたけれど・・・
そういう状況の家族だったんだ・・・と、
ここ数日の報道を読んでの理解。

娘にとって、母親を亡くしたことの重大さ、心の重み。
父親以上のものが有ったハズだろうに、健気にもさっちゃんは、
沈み込んでいる父親を少しでも激励しようと、心配りをしていた。
ホントならば、父親以上に、
自分自身が深く嘆き悲しんでしまうところなのに、
また、そういう年齢で有ったハズなのに、ほんと、
この子のそういうところ、気丈
(と云うより、おそらくは、悲しみのどん底まで落ち込んだ所以なんだろうけど)
だな、と、実感。
父親の手記を読み進むにつれ、何でカッターで切られなきゃ如何のか?
って思いだけが、込み上げて来た次第で。

づづ自身、前回の書き込みで、
コレはバーチャルネットの弊害だと、
こと軽く? 書き上げたけれど、
事情が判ってくるに付け、事の問題の重大さに驚くばかり。

人の、痛みを知らない子供達。
生き物が、生きるって事の大切さを知らない子供達。
自分が痛い事は、他人も痛いってことすら判らない、
今の子供達。
そんな、今の子供達に対して、
やはり、刑罰は必要だと思う。

親が遣らなきゃ、周り(近所衆とか)が遣る。
昔々は、「赤鬼」と呼ばれる、
コワイおじちゃんが、周りには居たもんだけど、
そういうコワイおじちゃんが居ない昨今に於いては、
子供を取り巻く社会が、その「赤鬼」の役をやらにゃ如何のでは?
尻っぺたを、バシバシ叩く刑罰を与えにゃ如何のでは?
と、考える次第。

悪いことをしたならば、刑罰を受ける。
人を傷付けたら、其れなりの処罰を受ける。
其れが体罰で有ろうが、社会的な制裁で有ろうが、
罪は罪、罰は罰。
年齢如何で、その処罰が放免されてしまうのでは、
昔の「赤鬼」が、怒り狂うに違いない。

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掲示板の裏・表

一時、バーチャル・リアリティーが問題視された、でしょ。
実生活上でのそれと、ネット・掲示板上での、それ。

実生活での自分の存在と、ネット上での自分の存在・出来事を、
本来、完全に区別せにゃ如何のに、ぐっちゃにして、ゴチャゴチャ。

コレが当初、問題視された米国とて、
大人から子供まで、こと、ネット歴の浅い人達が、
ネット上での其れと現実での其れとを、自ら区分・把握できずに、
実生活生涯まで引き起こして、裁判沙汰も、多々。

佐世保の女の子の場合とて、当にこの、
バーチャル・リアリティー障害の好例。
完全に、現実とネット上(バーチャル)での行いとが、ごちゃ混ぜに成り、
女の子自身、何が何なのか、混沌としていたはず・・・
次々と報道される行いの一部始終が、如実に其れを物語っている、でしょ。

実生活では、何ら支障無く、人とのコミュニケーションが取れていたんだから、
本質的に、人としての「障害」は無かったんだろうけど、
ひとえ、やはり、
「掲示板」と言うバーチャル・リアリティーに踊ってしまった。
その、結果でしか無いと思う。

ガッコウ・指導者側では、どのように指導したら良いか…で苦慮しているみたいだけど、
まずは、ネットという場の本質、
此を、子供達に教えることが大切だと思う。

自分自身の表現方法のひとつとして、掲示板等を用いるのは、
単に、自分を表す場所を変えただけ・・・でしか過ぎない、でしょ?

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