« 政令指定都市 | Accueil | 新潟県中越地震 »

なまず

namazu.jpg

昨日の17:56に起きた、新潟県中越地震に於いて、
犠牲になった方々への、ご冥福をお祈りすると共に、
被災者の方々へ、お見舞い申し上げます。

ここ伊豆の地も、近年では伊豆群発地震が有名でしたが、
震度5以上を記録した地震となると、1974年の伊豆半島沖地震(M6.9)
1978年の伊豆大島近海地震(M7.0)が有り、
こと、1978年の伊豆大島近海地震の時には、
その震源の近いところに居た、と言うこともあり、
今でも、トラウマの如く覚えています。

直下型の場合、よく、
「下からドーンと突き上げれられる様な感じで…」と云われますが、
づづ的には、最初の一撃は、垂直直下のコースターに乗った感じ。
一瞬、フワッと浮いて、
この時点ではまだ、一体何が起きたのか、認識も何も無いけれど、
その後の、ガサガサ、縦横無尽に揺れる揺れに依って、初めて、
地震だ~! と気が付くわけで。
その時には、立っても居られず、ただしゃがみ込むしか無く、
「地震が来たら机の下へ」なる、防災訓練の初期行動は、
果たせぬままでした。

地震発生の初期行動。
まず、火の始末 → 出入り口の確保(窓や扉を開ける) →
丈夫なモノの下に身を寄せる → 揺れが収まるまで待つ
→ 揺れが収まったら、周囲に(特に頭上)注意して広場へ避難

小・中・高校での避難訓練の都度、
これを、反復訓練してきたにも関わらず、
実際の地震では、その半分も出来なかった。
極限状態での人の行いってそんなもんだと、
今となっては、思います。

今回の新潟県中越地震でも、地震の初期の時に屋外に飛び出し、
崩れてきたコンクリートの壁に押し潰され、命を落とした人がいましたが、
まずは、揺れが収まるまで待つ。
揺れに依る恐怖心の襲いも有りますが、それだからこそ、
揺れが収まるまで、物陰に隠れてじっと待つ。

阪神大震災の時には、その殆どの人がまだ就眠中で有った為、
いきなり飛び出す人が、それ程居なかったのでしょうが、
(当時、裏六甲に棲んでいたづづの弟子も又、その時は就眠中)
今回の地震は、夕暮れた時の出来事。
火災が広まらなかったのが、せめてもの幸いです。

幸いと言えば、もうひとつ。
上越新幹線の「とき325号」が丁度その頃、
長岡駅の手前約7キロの高架上(新潟県長岡市)を走行していて、
10両編成の内、8両が脱線したワケですが、
あの辺りは確か、上越新幹線の下りとしては、
浦佐駅を出て、長いトンネルを出た辺り。

ほぼ、210kmの高速で走行していたハズだけど、
(上越新幹線の最高速は、240km)
そういう状態で直下型地震に襲われ、脱線だけで済んだのは、
新幹線安全神話崩壊が叫ばれている昨今、幸いな事だったと思うんですよ。

何せ、脱線転覆では無く、脱線車両が傾きはしたものの、
乗員・乗客の怪我人も無く、脱線だけで済んだのですから。
これこそ、新幹線の安全神話と云うべき事でしょう。(異論は有ろうが)

地震発生後、これから又、冷え込む夜を迎えます。
暖を取る為に、広場で焚き火をし、
飲食料を求めて、右往左往するでしょうが、
各地から続々、救援隊&救援物資が搬送されています。
(此処・静岡からも、救援隊が昨夜出発しました)

早期の復興を、遠く離れた地から、祈るばかりです。

|

« 政令指定都市 | Accueil | 新潟県中越地震 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Commentaires

Poster un commentaire



(Ne sera pas visible avec le commentaire.)




TrackBack

URL TrackBack de cette note:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22019/1760929

Voici les sites qui parlent de なまず:

« 政令指定都市 | Accueil | 新潟県中越地震 »